nekotoikitaiの日記

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劇的な変化よりも、現実的に小さく変わるために大切にしたいこと

とあるコンサルを受けて、動きが鈍い私が言われたこと。

 

「動かないのは、余裕があるからでしょ」
「やらなくてもどうにかなってるから、やらないんだよ」

 

人がガラッと変わって動けるのは——
命に関わる危機に直面した時や、
お金が完全に底をついた時。

 

動かないってことは甘えてるんだよ。という話。

 

たしかに、やらなくてもどうにかなっているという余裕が
私にはあるんだろう。

追い込まれてないんだ、どこか甘えているのかもしれない。

 

でも、そんな劇的な変化やエネルギッシュな動きを

私はそもそも望んでいない気もする。

 

でも、ちょっと自分を変えたり、動きたいように動けるようには

なりたいと思う。

 

動くには、ちょこっと自分を変えていく作業がいる。

自分を変えていくのは、簡単ではないと感じる。

 

それは、「人との関係」の中に「自分」があるからなのかもしれない。

 

「今までの自分」で過ごしてきた調和や関係。
それらがあるからこそ、変わることが難しいんだなと、つくづく思う。

 

ある日突然、地方を越えて昼逃げを経験した私は、
それまでの関係を断ち切るしかなく、だれも自分を知らない場所に来た。

 

別居、離婚という大きな問題は抱えたけれど、
周囲に自分を知る人がゼロという状況は、
新しい自分をつくるには格好のチャンスでもあった。

 

ある意味これは、劇的な変化、の経験だろう。

 

変わりたい、と思って変わるより、
そうするしかなくて変わっていった、という方が正しいかもしれない。

 

やがて「新しい自分」という枠が「今の自分」になり、
人との関係もまたできていく。

 

そうなると、変わりたいと思っても、動きが鈍る。

 

自分の意志で、周りとの調和を崩してでも変わっていくのは

きっと並大抵のことではないのだ。

 

Prime Videoの『私の夫と結婚して』の
主人公の変わりっぷりは爽快だった。

 

「命の危機」どころか、命を絶たれ、タイムスリップして人生をやり直すストーリー。

周囲との調和なんておかまいなしに、
見た目も言動も急激に変わっていく主人公。

 

こんな状況に置かれたら
きっと私も、後悔したすべてのことを、やり直しにかかるだろう。

 

人の目とか調和とか、そりゃどうでもよくなるって。

 

でも、人生に二週目なんてないのが現実だ。


オーディション番組を見ていると、
候補生が「変わる」ことがドラマになることがよくある。

信頼できる仲間や先生の中で、
変わる覚悟をして変わっていき、変化をポジティブに捉えられ
自信に変えていける環境がある。

 

これはこれで、人生二周目とはまた違うけど、
自分を変えていくために必要なパーツや環境がそろっているのだろう。

 

世の中のほとんどの人が、
命の危機も、お金の危機も目前にはなく、
オーディションの舞台もない。


そんな平凡な暮らしの中で、ほんの少し自分を変えていくには、
きっと自分から、新しい場所に行ったり
関わりをつくることを意識的にすることが
想像以上に大切なのだろう。

 

そしてそのくらいの小さなきっかけの中で
自分を心地の良い方へ一歩動かしてあげること。

 

きっとそれが、“人生二周目”なしでも
自分のいきたい方にいきていくコツなんだと思う。

 

そんな「小さな自分の変化」を、安心して試せる場所が
私にとっては、「感性ラボ」でした。

 

 

 

リスケの神様との"叶わぬ恋"から学ぶ迷惑をかけあう生き方

急なリスケ、何回まで許せますか?

 

個人のお客様とスケジュールを調整して、
オンラインで仕事をしている私。

一対一でお仕事をしていると、
本当にいろんな人がいるなあと思います。

 

よく連絡は取り合っていて、
ことあるごとに声をかけてくれるAさん。

いろいろとご苦労をされてきた人生が垣間見えるけれど、
きっと心優しく一生懸命な方。

不思議なことに——

 

家電が壊れた

Wi-Fiの修理が必要になった

家族が骨折

家族が発熱

自分が体調不良

 

あらゆる自体がAさんにおそいかかり、

日程は決めても、その当日はなかなか訪れないのです。

 

何度となくリスケをして、
「いよいよ今日は!」というその日も。

直前に急な体調不良で、またリスケ。

 

Aさんとのスケジュールは、もはや"叶わぬ恋"。

会いたくて会いたくて震えそう。

 

こんなリスケに次ぐリスケも想定内に、
お仕事の仕組みを作っているから、私としては全く問題なし。

 

けどここまで重なると、なんか他の意味がそこにはある気がしてくる。

 

私はというと、「リスケされる」のは全然平気。
まじでノーストレス。

 

ぽっかり空いたこの時間、
「なにしよっかな♪」と思うクチです。

 

でもふと形勢逆転するとどうかというと——
リスケのお願いをするのは苦手。

 

ちょっと無理してでも、なんとか予定通りこなさなければ、
と思ってしまうのが私です。

 

迷惑はかけられてもいいけど、かけてはいけない。

この方程式、日本ではあるあるですか?

 

自分の気持ちに素直になって、それを相手に伝えることが、
高い壁のように感じます。

いや、そもそもAさんの度重なるリスケは、
私にとっては全く迷惑ではないんだけどね。

 

こういうことを考えていると、
「昨夜のカレー、明日のパン」というドラマを思い出す。

 

夫をなくしたテツコさんと、
夫の父・ギフ(義父)との暮らしを描いたドラマ。

 

テツコさんに迷惑をかけてはいけないと、
ギフがいろいろ思う回があったのだけど(うろ覚え)。

「誰かと生死を共にすること、
それは迷惑をかけたりかけられたりしながら生きていくってこと」

——みたいなところに落ち着く。

 

なんだかこの言葉にものすごくホッとした感覚があって、
身体が今でも覚えている。

 

あれって何年前だっけ?

 

は?2014年ですってよ!もう11年前。

 

身体に刻まれた感覚って、なくならないんですねえ。

 

 

 

Aさんからリスケのお願いが届くたびに、
「今日も本心を言ってくれてよかった」
とさえ思う私がいる。

 

だから私もたぶん、自分に正直な自分のまま

人と関わっていいはずなんだろう。

 

迷惑をかけたりかけられたりしながら

社会の中で生きていいはずなんだろう。

 

Aさんは、自分に正直でいる「心地よいわがまま」を
教えてくれるリスケの神様だ。


Aさんとの"叶わぬ恋"が、いつか叶いますように。

 

 

タイプロは壮大な婚活だったと思っているシンママの戯言

「我々は家族です。家族となりました。」

 

この一言に、タイプロを見ながら行ったりきたりしていた感情が

どうでもよくなりました。

 

好きと言っていいでしょう、

いや、屈しません、決して

 

いやいやもうこれは、推し活スタートと言っていいでしょう、

いや、こんなアラフォーのおばさんが

これからの若いアイドル推しちゃあかんって

 

の繰り返し、もうどうでもいいや。

 

前代未聞の仲間探しオーディションをして

新生timeleszです!とはじめてお披露目したその日の

最初の一言が、「我々は家族です。家族となりました。名字はtimeleszです。」

 

そうか、彼らは、家族を探していたんだ。

 

そして、見つかったんだ。

 

オリジナルメンバーの覚悟に、

選ばれたメンバーたちの背景に、

思いを馳せたら涙なしには語れないじゃないですか。

 

メンバーの脱退を経験し、

このままでは分解してしまうかもしれない中で

新しいメンバーを探すことにしたオリジナルメンバー。

 

同じ事務所で夢を追ってきたけど、デビューは叶わず、

でも腐らずに続けてきた2人。

 

この事務所といえば、小学生とか中学生から入所が当たり前な中

20代を過ぎての異例の入所のひよこ組。

 

そんなそれぞれの8人が、出会い、

「家族」として再出発する。

 

え、ステップファミリーですか????胸熱。

 

 

お腹へった、ご飯食べさせてください~って連絡できる人がいる

緊張した時に、元気が出る何かを送ってって言える人がいる

分かち合って、同じ方を見て一緒に歩める人がいる。

 

ある日突然、家族の解散を迎えた私にとって、

そんな幸せが痛いほどに遠い。

 

そこと重ねて見ちゃってるもんだから。

timeleszの家族感にぶっ刺さってしまったシンママ、他にもいない?

 

なんならタイプロって壮大な婚活だったなとさえ

思っている節がある。

 

彼らが一緒にいて、夢を叶えることが

アラフォーシンママにとって、とんでもなく励みだ。

その道を、ずっと応援させてほしい。

 

 

結婚相談所をされているみなさま、

シングル家庭向けには、婚活よりも家族探しオーディションを。

開催お待ちしています。

 

 

 

 

相談苦手民、案の定ビジネスコンサルで泣く

カウンセリングやコンサルに行って、後悔したことはありますか?

 

誰かに何かを相談して、話さなきゃよかったと思ったこと、ありますか?


私は、ほとんどの場合そう思います。笑


相談苦手民です。


これって私だけなのかなと思っていたら

「相談して後悔したことがあると答えた人は7割を超える」

なんてデータがあることを知り

 

あらやだ、私だけじゃなかったんだと
思ったわけです。

 

まあこの後悔は、仲の良い友達とか、家族とかさ
何気なく話したら、聞いてほしかっただけなのに
明後日の方向のアドバイスされちゃったとか
いなされちゃった、みたいなのも含まれると思う。


でもさ、その中には、カウンセリングとかコンサルとか
それが専門業の場合も含まれているのだと思うのよね。

 

相談って、二種類ないか?

 

カリスマ先生にご意見をいただく相談と

がっつり自分に寄り添ってくれる相談。

 

そして多くの場合、

寄り添ってほしい、と思っているのに

多くの相談が、ご意見をいただく場だから

後悔率が高いんじゃなかろうか。

 


この間、わたしビジネスコンサルに行って、見事大号泣。

 

寄り添って欲しいタイプの私が、

正論ビシバシカリスマ先生に相談に行った、

わかってて行った、

泣くまであるぞと思いながらいった。

 

で、見事やっぱり泣いた。笑


いい大人が泣いて恥ずかしいわ!と思いながら
びいびい泣いた。先生ごめんね、やっかいな相談者だったわ。

 

それは、正論言われて腑に落ちた安心もあった。

 

でも同時にやっぱり、

なぜ、そんなに圧倒的な正解を、
目の前の、価値観の違った、一人の人間に
当てはめて押し付けられるんだろう、という
強いトゲみたいないたみもあったなあ。

 

カリスマ性って、置いてきぼりと紙一重なんじゃないかな。

 

こうすればうまくいくよって

誰がどう見ても正論であっても、

相談相手によっては、真逆になることもある。

 

でも、そんなことはおかまいなしに進むのが

短時間、単発の相談事業なのかもしれないね。

 

寄り添ってほしいなんて、場違いなんだわ。照れる。

 

つまるところ、

とことん「自分」にフォーカスを当てて

話を聞いてもらえて

納得のこたえがみつかって、スッキリ!

なんて場は結構限られているんじゃないかっていうことを

思うわけです。

 

こんな超絶めんどくさい私が、

絶妙な相談の場としてよく使うのが

感性アプローチを活用した感性ラボのコーチング。

 

ここは何度相談しても一度も後悔したことがないから不思議。