リスケの神様との"叶わぬ恋"から学ぶ迷惑をかけあう生き方
急なリスケ、何回まで許せますか?
個人のお客様とスケジュールを調整して、
オンラインで仕事をしている私。
一対一でお仕事をしていると、
本当にいろんな人がいるなあと思います。
よく連絡は取り合っていて、
ことあるごとに声をかけてくれるAさん。
いろいろとご苦労をされてきた人生が垣間見えるけれど、
きっと心優しく一生懸命な方。
不思議なことに——
家電が壊れた
Wi-Fiの修理が必要になった
家族が骨折
家族が発熱
自分が体調不良
あらゆる自体がAさんにおそいかかり、
日程は決めても、その当日はなかなか訪れないのです。
何度となくリスケをして、
「いよいよ今日は!」というその日も。
直前に急な体調不良で、またリスケ。
Aさんとのスケジュールは、もはや"叶わぬ恋"。
会いたくて会いたくて震えそう。
こんなリスケに次ぐリスケも想定内に、
お仕事の仕組みを作っているから、私としては全く問題なし。
けどここまで重なると、なんか他の意味がそこにはある気がしてくる。
私はというと、「リスケされる」のは全然平気。
まじでノーストレス。
ぽっかり空いたこの時間、
「なにしよっかな♪」と思うクチです。
でもふと形勢逆転するとどうかというと——
リスケのお願いをするのは苦手。
ちょっと無理してでも、なんとか予定通りこなさなければ、
と思ってしまうのが私です。
迷惑はかけられてもいいけど、かけてはいけない。
この方程式、日本ではあるあるですか?
自分の気持ちに素直になって、それを相手に伝えることが、
高い壁のように感じます。
いや、そもそもAさんの度重なるリスケは、
私にとっては全く迷惑ではないんだけどね。
こういうことを考えていると、
「昨夜のカレー、明日のパン」というドラマを思い出す。
夫をなくしたテツコさんと、
夫の父・ギフ(義父)との暮らしを描いたドラマ。
テツコさんに迷惑をかけてはいけないと、
ギフがいろいろ思う回があったのだけど(うろ覚え)。
「誰かと生死を共にすること、
それは迷惑をかけたりかけられたりしながら生きていくってこと」
——みたいなところに落ち着く。
なんだかこの言葉にものすごくホッとした感覚があって、
身体が今でも覚えている。
あれって何年前だっけ?
は?2014年ですってよ!もう11年前。
身体に刻まれた感覚って、なくならないんですねえ。
Aさんからリスケのお願いが届くたびに、
「今日も本心を言ってくれてよかった」
とさえ思う私がいる。
だから私もたぶん、自分に正直な自分のまま
人と関わっていいはずなんだろう。
迷惑をかけたりかけられたりしながら
社会の中で生きていいはずなんだろう。
Aさんは、自分に正直でいる「心地よいわがまま」を
教えてくれるリスケの神様だ。
Aさんとの"叶わぬ恋"が、いつか叶いますように。